その日になって忠興は紀伊家にご訪問し

さて席に入って見ると、床にかけてあるのは望んだ

◇◇の墨跡ではなく、

清◇和尚の墨跡で、

お祝いのかけものがかけてある。

忠興は予想がはずれてしまったが

しかたがない。

茶会はとどこおりなくすんで

書院でゆるゆる物語りの後、退出した。

 

まず、ここに一つの逸話をお話ししてみたい。

紀伊大納言頼宜は若年から茶道を◇て、

立花宗茂・細川

忠興・伊達正宗と交わりが深かった。

 

ひと年忠興帰国に際して、頼宜の家臣渡邉一學直綱に、

自分もよる年波、このたびの帰国で又の出府も◇束ないように思う。

 

そうなると末期の思い出に、紀伊家秘蔵の◇◇の墨跡を拝見したいものであるという

◇◇をもらしたたので、直綱はその旨を主人頼宜につたえた。

頼宜これを聞いてそれは、かんたんなことである。

それではお招きいたそう、というので

日を期して、紀伊家で茶会が催された。

 

 

 

 

いつわ逸話世間にあまり知られていない、興味のある話。エピソード。

中村先生に茶室、不言庵を建てていただいてから

もう三年になった。

 

青苔日厚自無塵

という

 

古人の句を偲ばせて

露地の苔は日に暑く、

雨の朝月の夕とりどりの趣を呈するようになった。

 

不言庵というからには

黙して、心気を養い、その道を楽しめとの

貴い教示と心がけて、

庵から声のもれないかぎりにおいて、

ただ教え子たちを相手として、

二度の春秋を◇迎し、この道の楽しみを

わかった。

 

しかるに、このごろになって

中村先生からその話を書くように

との仰せがあった。

 

筆硯にうとい自分にはこの興趣について書きこなしがたいので

一応ご辞退申し上げた。

しかし茶味という題◇までつけて頂いたので、

その仰せにそむくも◇にあらずと思いなおして筆をとった。

興趣】きょうしゅ物事から感ぜられる(低俗でない)面白み。

 

 

 

重きものを苦しそうに扱うのは、

ただに見る目に粗◇で威儀を損ずるばかりでない。

 

見る心に安易の情を起こさしめない。

 

軽きものを軽々しく扱う心のゆるみは

意外の失策を招く原因である。

 

強気に弱く

重きに軽かれ

という如く

 

釜、水指の如き重きものを運びては

従容の姿を失わず、

茶しゃく・◇◇の如き軽きものを動かしては

荘重の心を忘れない様に扱うがよい。

小は大に、大は小に

という戒めもまたこの半面である。

物を運ぶには

一眼

二足

三腹

四力の四つが調子よく揃わねばならない。

 

置き放し、据え放しにせず、

如何に置かれしか如何に据えられしかと

省みるの◇である。

 

三炭の中、客が退出せんとするに方ってつぐ炭を

立炭(たちずみ)という。

この立炭のあしらいは客にいねかしというのはない。

 

水にして返さぬ主人の働きである。

立つ客は名残の拝見をして、

一器の思い出として退出する。

 

立炭といい、名残の拝見といい、

共に主客の間に養われた心地である。

 

一◇何物によらず正面を一度身にひきあてて扱う時、

はじめてその物に宿す

心の影を十分に認めることが出来る。

これを十分に◇検して客にすすたならば、

そ相がある筈がない。

 

器物を取る手は、軽く手早くするとも、

置く時は重く思い入れあるがいい。

 

しょうおうも「何にても道具置き付け◇る手は戀しき人にわかると知れ」

と言っている。

この心持ちを残心という。

この残心をひきあしらいに表すのを

心地という。