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茶味
おじいさんの本
私版現代語訳
大人向け版
こども向け版
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中村先生に茶室、不言庵を建てていただいてから
もう三年になった。
青苔日厚自無塵
という
古人の句を偲ばせて
露地の苔は日に暑く、
雨の朝月の夕とりどりの趣を呈するようになった。
不言庵というからには
黙して、心気を養い、その道を楽しめとの
貴い教示と心がけて、
庵から声のもれないかぎりにおいて、
ただ教え子たちを相手として、
二度の春秋を◇迎し、この道の楽しみを
わかった。
しかるに、このごろになって
中村先生からその話を書くように
との仰せがあった。
筆硯にうとい自分にはこの興趣について書きこなしがたいので
一応ご辞退申し上げた。
しかし茶味という題◇までつけて頂いたので、
その仰せにそむくも◇にあらずと思いなおして筆をとった。
【興趣】きょうしゅ物事から感ぜられる(低俗でない)面白み。
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重きものを苦しそうに扱うのは、
ただに見る目に粗◇で威儀を損ずるばかりでない。
見る心に安易の情を起こさしめない。
軽きものを軽々しく扱う心のゆるみは
意外の失策を招く原因である。
強気に弱く
重きに軽かれ
という如く
釜、水指の如き重きものを運びては
従容の姿を失わず、
茶しゃく・◇◇の如き軽きものを動かしては
荘重の心を忘れない様に扱うがよい。
小は大に、大は小に
という戒めもまたこの半面である。
物を運ぶには
一眼
二足
三腹
四力の四つが調子よく揃わねばならない。
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置き放し、据え放しにせず、
如何に置かれしか如何に据えられしかと
省みるの◇である。
る
三炭の中、客が退出せんとするに方ってつぐ炭を
立炭(たちずみ)という。
この立炭のあしらいは客にいねかしというのはない。
水にして返さぬ主人の働きである。
立つ客は名残の拝見をして、
一器の思い出として退出する。
立炭といい、名残の拝見といい、
共に主客の間に養われた心地である。
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一◇何物によらず正面を一度身にひきあてて扱う時、
はじめてその物に宿す
心の影を十分に認めることが出来る。
これを十分に◇検して客にすすたならば、
そ相がある筈がない。
器物を取る手は、軽く手早くするとも、
置く時は重く思い入れあるがいい。
しょうおうも「何にても道具置き付け◇る手は戀しき人にわかると知れ」
と言っている。
この心持ちを残心という。
この残心をひきあしらいに表すのを
心地という。