2018-01-01から1年間の記事一覧

その日になって忠興は紀伊家にご訪問し さて席に入って見ると、床にかけてあるのは望んだ ◇◇の墨跡ではなく、 清◇和尚の墨跡で、 お祝いのかけものがかけてある。 忠興は予想がはずれてしまったが しかたがない。 茶会はとどこおりなくすんで 書院でゆるゆる…

まず、ここに一つの逸話をお話ししてみたい。 紀伊大納言頼宜は若年から茶道を◇て、 立花宗茂・細川 忠興・伊達正宗と交わりが深かった。 ひと年忠興帰国に際して、頼宜の家臣渡邉一學直綱に、 自分もよる年波、このたびの帰国で又の出府も◇束ないように思う…

茶味 おじいさんの本 私版現代語訳 大人向け版 こども向け版

中村先生に茶室、不言庵を建てていただいてから もう三年になった。 青苔日厚自無塵 という 古人の句を偲ばせて 露地の苔は日に暑く、 雨の朝月の夕とりどりの趣を呈するようになった。 不言庵というからには 黙して、心気を養い、その道を楽しめとの 貴い教…

重きものを苦しそうに扱うのは、 ただに見る目に粗◇で威儀を損ずるばかりでない。 見る心に安易の情を起こさしめない。 軽きものを軽々しく扱う心のゆるみは 意外の失策を招く原因である。 強気に弱く 重きに軽かれ という如く 釜、水指の如き重きものを運び…

置き放し、据え放しにせず、 如何に置かれしか如何に据えられしかと 省みるの◇である。 る 三炭の中、客が退出せんとするに方ってつぐ炭を 立炭(たちずみ)という。 この立炭のあしらいは客にいねかしというのはない。 水にして返さぬ主人の働きである。 立…

一◇何物によらず正面を一度身にひきあてて扱う時、 はじめてその物に宿す 心の影を十分に認めることが出来る。 これを十分に◇検して客にすすたならば、 そ相がある筈がない。 器物を取る手は、軽く手早くするとも、 置く時は重く思い入れあるがいい。 しょう…

茶室でお茶を頂く時 茶碗をまわすということを つたえ聞いている人々が 二度まわすのですか三度まわすのですか等と しきりにたずねる。 このまわすというのは 二度とか三度とかいう回数ではない。 茶碗の正面を如何に扱うかが要◇で 二手に扱うとも三手に扱う…

器物を正しく扱う為には、 器物の正面を見立てることが第一である。 この正面を、略して面ともいう。 繪書とか文字とか、目ぼしいものがある時には、 この面の見立てはさまでのもないが 一寸工夫を要するものもある。 たとえば模様もない茶碗では、ただ主人…

所作と言葉 2

馳走というのは、字の示す通り 馳せ走るのである。 卽ち主人自ら◇走◇力し、客をもてなすことである。 この義に則って 主人が客の為になす所作は、凡て 周到恭敬にして、條理に從い、一物を動かし 一器を拭うにも 能清能敬の容を具ふる事が必要である。

所作と言葉 1

心の働きが、 時に応じた動作となる、 これを所作という。 言い換えれば、 主人にありては馳走ぶり、客にありては客ぶりである。 不昧公の所論「主人は◇相は客の◇相、客の◇相は主人の◇相」 という、主客和楽の境が開かれるのである。 馳走 客への供応。転じ…